chapter 4 「お食い初め」
文化・伝統というものは、世界各国に様々存在している。
日本では、出生後にお宮参りをし、生後100日後にお食い初めをする。
お食い初めは、古くは平安時代から行われていると言われている。
特にパパママ世代が重視するというよりは、おじいちゃんおばあちゃん世代が
孫の成長を見たいので、両家揃えて祝うと祖父母のご機嫌を取れるということである。
さてこのお食い初めであるが、まず料理の準備が必要となる。
ご飯は赤飯、お吸い物には蛤、魚は鯛、野菜は紅白なます、煮物は蓮根と里芋と筍。
それぞれ縁起物ではあるが、意味については、下記、当日のパンフレットをご確認ください。
さて、結果としては、お食い初めはうまく行ったようだ。
両家祖父母にパンフレットを渡し、記念撮影をしてお開きとなった。
自分自身が生後100日の時にお食い初めをしてもらったか、定かではないので
生後12,410日目くらいで、初めてのお食い初めを経験したと言っても過言ではない。
chapter 3 「新生児から乳児へ」
この頃の父親の役目と言ったら大したことがない。
と言うのも父親は母乳が出ないからである。
我が子が生きるために必要な栄養源は、全て妻の乳房から出ることになる。
驚くのが、母乳の成分は血液だと言う。
文字通り、身を削って子どもを育てているのは母親なのだ。
妻は夜泣きで起きる息子に、2時間おきに授乳をしている。
この労力には頭が上がらない。
この時期に父親にできることは以下の通り。
夕食作り、オムツ変え、子供の沐浴、寝かしつけ。
世の父親は皆、乳児期の妻に敬服すべきである。
そう思いながら、今夜も疲れて眠る妻の隣に、息子をそっと寝かしつけた。
chapter 2 「最初の1ヶ月」
息子が産まれて1ヶ月が経った。
その日は、夏の暑さを少し忘れ始めた過ごしやすい初秋の昼下がりであった。
車で妻と息子が我が家に帰ってきた。
その日から、私はようやく本当に親父になったんだと実感した。
その日を迎えるまで、私は毎週、妻の実家に足を運んだ。
出産は女性にとって命懸け。
とりわけ私の妻は帝王切開で息子を産んでくれた。
体力を回復するために、実家で最初の1ヶ月を過ごすと言うのはよくあることである。
私は毎週息子に会ったが、どこか自分の子どもであるという実感が湧かなかった。
神秘的な生物が、私とは遠い世界で、私の力を必要とすることなく生きていた。
しかし、これからは私と妻がこの子の親である。
少しずつではあるが、親父としての実感が湧いてきていた。
Chapter 1 「命」
「おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!」
世の男性は、こんな泣き声がドアの向こうから聞こえてくると想像しているのだろう。
斯く言う私も、このようなお決まりの泣き声が、ある種の始まりの合図として
まるで、徒競走の始りを告げるピストルのように、
このドアの向こうから聞こえてくるものと信じていた。
しかし、それはあまりに静かに私の前に現れた。
保育器の中で、この世界の明るさを確かめるように、じっと一点を見つめ、
おとなしく横たわっている。
この子が産まれた瞬間、私は親父になったのである。
ピストルの音が聞こえなかったが、
この瞬間から、私の「親」としての徒競走は始まった。